コロナに翻弄されているうちにだいぶ間が空いてしまいました。
私自身がなぜ管理職に昇進できたか。。。の続きです。
私の昇進のはなし
期待をしてもらった
下の記事で書きましたが、優秀な女性がいたら、上司は期待の言葉をちゃんとかけて欲しいんですよね。
私は、幸いなことに、20代で今の会社に入ってからは、上司との関係もよく、将来の管理職の道・・・みたいなものを上司がたまに話をしてくれたんですよね。
聞いたときは、「ふ~ん、そういう道もあるのかなぁ。実感ないな~。」ぐらいのふわっとした感じでしたが、そういう種を撒いておく(撒かれておく?)ことはけっこう重要なんだな・・・と後々気づきました。
すぐに昇進とはいかなくても、そういう選択肢が将来あることを意識できるか、これは大きな分かれ目。
大きい仕事を任せてもらえた
結婚前、管理職がやるような大きなプロジェクトを任せてもらいました。部の基幹システムに関わる仕事です。私が特別できる人だったわけではなくて、人不足で管理職級をあてがえなかったというのが理由ですが。。。
それでも、ストレッチした目標を掲げることで、この時の成長、達成したことによる自信は他の仕事では実現できなかったことだと思います。
だからこそ。
不安なく産休育休をとれた
プロジェクトの終了後しばらくして妊娠したわけですが、プロジェクトをやりきった感があったので、妊娠したことによる仕事への不安は、あまりありませんでした。
自分の居場所がなくなる、というような感覚はあまりなくて、「まぁ、育休とっても戻る場所はあるでしょ」とか、「仮になくても、あのプロジェクト乗り切れたから何とかなるでしょ」のように考えられるようになっていました。
仕事をある程度頑張って、居場所を作ってからの妊娠出産はこのあたりの不安は軽減されるかも、と思います。
一方で、人生全体でみると、妊娠出産や子育ては体力が必要だし、2人目のことを考えると早い方がいいのかも、とも思います。(私は30代前半での出産でした。)
復帰後のちょうどよさ
育休復帰後、ありがたかったのは、職場や上司が私の仕事への意欲をちょうどいい感じに受け取ってくれたということ。過不足なく。
私は、初めての子育てで、優先すべきはもちろん息子ですが、仕事への責任も自分にできる限りは果たしたいと思っていました。
これが、「大変だからやらなくていいよ~」と言われすぎて、楽な方向に寄っていってしまっていたら・・・今の立場はなかったかなと思います。
その後、自分なりにバランスをとりながら、復帰後3年目にはまた部内の重要案件を時短のまま任せてもらえるまでになり、その後、管理職に。というのが昇進の経緯です。
ある程度自由な働き方を許容してもらっている
今、コロナのこともあり、「自由な働き方」ってなんだろう。。。と思ってしまうけれど。
少なくとも私が管理職になったばかりの頃は当然今みたいな世の中ではなかったし、勤務先の働き方もそこまで柔軟ではない。
でも、私、管理職昇進を打診された時に「短時間で成果を上げられるよう精いっぱい頑張りますが、長時間労働を期待されているのなら無理なので断ります。」というようなことを宣言したのです。
そのせいか、やるべきことが進んでいれば長時間労働は不要だし、「息子の学童が始まったので今日は早め(←定時前)に帰ります。」ということも、認めてもらっています。
その代わり、短時間で成果を出すって厳しいことですけどね。
結局、課長であれば自分の課の責任は全て自分にあるわけだし、業務を効率的に進めていくためには、自分も常に勉強しなければいけない。
まとめ
ということで、なぜ私が昇進できたかの話。
- 会社が、年齢性別関係なく意欲のある人に任せてくれる風土だった
- 自分のキャリアについては真剣に向き合ってきた
- ロールモデルは自分で作っていく
- 仕事への覚悟を持っている
- 若い頃から管理職への道を期待してもらい、重要な仕事を任せてもらえた
- 頑張った時期があったから、育休や時短への負い目が少なかった
- 育休復帰後も自分のペースを尊重してもらえた
以上です。
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