全ての子どもたちに伝えたい、この世は生きるに値する

ブランコ 子育て
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休校、在宅勤務でイライラ、学校再開するならするで今度は学習が不安。

そんな情緒不安定なワーママいませんか。それは私です。

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さらに、3月頃からまた息子の吃音が目立つようになってきて、こんな状況の中だからと見守っていたものの、今後ずっと続いてしまうかもいれない…という私の不安もピークに。

吃音の子の親の対応として、子どものストレスに気を付けてゆったりした気持ちで接した方がいい、なんて言われています。でも、こんな状況下で自分自身もイライラや不安が出てきてしまって自己嫌悪のループ。

こんな時、親はどうしたらいいのか。。。

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3者から学ぶ子どもへのメッセージ

「この世は生きるに値する」

2013年の引退会見で宮崎駿監督がこんな言葉をおっしゃっていたのをご存知でしょうか。

僕は児童文学の多くの作品に影響を受けてこの世界に入ったので、基本的に子供たちに「この世は生きるに値するんだ」ということを伝えるのが自分たちの仕事の根幹になければいけないと思ってきた。それはいまも変わらない。

NIKKEI STYLEより引用

 

言われてみれば。

ジブリ作品に出てくる少年少女たち、それぞれが決して軽くない運命を背負っている。それは、親の病気や死だったり、魔女という血だったり、呪いだったり。

それでも、運命に立ち向かいながら、いつも「光」を失っていない。

 

そこにあるのは、重苦しい悲壮感ではなくて、運命を受け入れつつ「生きる」ことの健気さであったり、未来を信じることの輝きであったり。

 

 

なぜ、ジブリ作品がこんなに長い間、そして、こんなに多くの世代に支持されるのか。

 

特に、親が子供に見せたいアニメと言ったらジブリじゃないだろうか。

 

それは、単純におもしろいとか、絵がきれいとか、ワクワクするとか。それもある。

 

でも、それだけでなくって。

完全な悪人はあまりいなかったり(ただ弱かったり色々な事情があったりするだけ)、苦しくても、生きることで見つけられる一筋の光、みたいなものを感じささせてくれたり。

 

そんなところが、子を持つ親にぐっと刺さるのではないか…なんて思うわけです。

 

なぜ、この話を思いだしたか…

吃音への不安が私の中でどうしようもなく膨れ上がってしまった数日前のこと。

 

ここ数ヶ月コロナの影響でお休みしていたのですが、息子の吃音を見てもらっている言語聴覚士の先生に、次回の予約を兼ねて、今の息子の状況をお伝えして相談してみたのです。

それから、私自身の不安も。

 

吃音の原因はまだよくわかっていないのですが、症状が出る子どもの特徴として、新しい場所や環境が苦手、自分に自信がもてない、ちょっとしたことで不安になってしまう、といった傾向が見られる場合があり、息子もそういった特性があります。

 

以前も書いたかもしれませんが、私と二人で家庭学習をやっていた時には割と楽しく勉強ができていました。

でも、明らかに学校の宿題には拒否反応を示す息子。

 

別に、私のやり方が正しいとか、そんなことが言いたいわけではないのです。ただただ、私は息子のやりやすい方法、息子の進度、そういったところに合わせらることができたから。

 

その後、学校の宿題を嫌がる息子に、「こんな大量の宿題、今の息子には合わないからやらなくてもいい」「あまりストレスを与えると吃音が悪化してしまうかもしれない」という気持ちと、「宿題なんだからやって当然だよな…」「やらないと、結局困るのは息子ではないか」という気持ち。

 

そんな話を、言語聴覚士の先生に伝えました。

気づけば私自身が泣いていました。

 

 

そんな私の悩みに対しての、先生の言葉。

今はこういう未曽有の事態だから学校も試行錯誤しています。
でも、子どもは基本的には、習ったことしかできません。習っていないことはできないのです。だから息子君がやりたくないのなら、無理させなくてもいいです。

それから、息子君はとてもいい子で私も大好きです。ご両親も同じでしょう。でも、息子君は自分に自信を持てる、というタイプではないですよね。

だから、毎日「今日はどんないいことがあった?」「どんなきれいなことがあった?」と聞いてあげてください。それだけでいいんです。

嫌なこととか苦手なことには、目を向けなくていいんです。

と。

そんなことを先生はおっしゃってくれました。

 

結局、息子のことを過度に心配すること、それは即ち、息子の悪い面ばかりに囚われているということであり、光ではなく影ばかり見ているということであり、大げさに言えば息子を否定している、ということでもあるんだな…。

そんなことを、改めて考えさせられました。

 

母がこんなに不安で、もちろんそれは息子の前では見せないようにしていたけど、やっぱり何かしら伝わるものもあったかもしれない。

その後の状況

そして昨日。

「今日、なにか楽しいことあった?」と真っ先に聞いてみました。

(この質問自体は毎日聞いているのだけど、宿題などに対してネガティブな反応出さないように。)

むすこ
むすこ

ボールキャッチが一番上手にできた。(実演付き)
それにねー、ブランコが高く漕げるようになったよ!今度公園で見せてあげるね!早く行きたいな~~。(ニコニコ)

 

そして、心なしか吃音の症状も、昨日と今日はあまり出ていないような感じ。

 

ああ。

やっぱり、私のせい…だったのかもな。ほんとに自分の頭をガシガシ叩きたい気分。

 

 

結局、息子の全部をひっくるめて肯定してあげられるか、ってことなんだな。

私の場合、言葉では全肯定しても、きっと態度にはネガティブな感じが出てしまっている。

頭では気を付けなければと思っても、難しい。。。

人生への最大の肯定

もう一つ、大好きな逸話があります。

 

それは、歌手の小沢健二さんの『さよならなんて云えないよ』という歌の歌詞をタモリさんが絶賛したという話。

 

私、音楽はそんなに詳しくないので、小沢健二と言えば、ラブリーでウキウキなカローラの人って感じなのですが、この話を聞いて、すごい人なんだな、と感心した。

タモリ: でもね、よく考えられた作品だよね。あのね、まぁいろいろ優れてるんだけども、俺が一番驚いたのは鹿児島で車でできた作品で『道を行くと、向こうに海が見えて、きれいな風景がある』。そこまでは普通の人は書くんだけれども。それが『永遠に続くと思う』というところがね,それ凄いよ。凄いことなんだよ、あれ。
小沢: ホンっト、ありがとうございます。良かったなぁ、ちゃんと…。ボクは何かね、聴いてて、何ていうのかな……。たとえば、今お昼休みで、『笑っていいとも』で“ウキウキウォッチングしてる”ところと、何ていうか、“人生の秘密”とは、“生命の神秘”とか、“永遠”とか、そういうのがピュッとつながるような曲が書きたいんですよね。それで、だから…。んー。
タモリ: だからまさにあのフレーズがそうなんだよね。あれで随分…、やっぱり考えさせられたよ。
小沢: ありがとうございます。
タモリ: あれはつまり“生命の最大の肯定”ですね。

引用元:http://littleboy.hatenablog.com/entry/2014/03/19/151258

 

私は・・・こんな風に、生命を、人生を、肯定できているだろうか。。

 

まとめ

ということで。

ここ最近の自分の反省を、今後の自分のためにも書いてみました。(と言っても、たぶんまたループはするだろう、ね。)

 

今日、寝る直前の息子がつぶやいた言葉。

「ドラえもんがいたらいいのにな~(ネムネム)」

うんうん、そうだね。ドラえもんがいたら素敵だよね。

 

 

私は、あれやこれや難しく考えすぎるのが悪い癖でもあるのだけれど。

宮崎駿監督も、小沢健二も、言語聴覚士の先生も、言いたいことはシンプルなことなのかもしれない。

 

例えば、きれいな青空の日。それを一緒に見ながら、心から、

「今日の青空はとてもきれいだね。」「そうだね。」「明日も晴れるといいね。」

と言い合えること。

 

 

きっと。それだけいいのだ。

(おわり)

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