今週もまた外出自粛中。
果物と生クリーム、市販のスポンジケーキでデコレーションケーキを作りました。
4歳の誕生日に、私の趣味で子ども用包丁を渡してから2年ちょっと。包丁遣いもだいぶさまになってきました。
さて。
卒園に向けての気持ちを何回か書いてきました。31日はお休み予定なので、いよいよ明日が本当の最終日です。
卒園の寂しさ、小学校への不安、いろいろな思いが去来します。そして押し寄せるコロナへの不安。
いつか、今の不安が(小1の壁然り、コロナ然り)、「そういう時もあったよね~」と懐かしく思える時が来ると信じて、今の気持ちをつづっておきたいと思います。
子の思い、親の思い
感受性豊かな子どもたち
先週の卒園式の話。
卒園証書の授与で子どもたちが一言ずつ小学校への抱負を語る場面があって、中には感極まって泣き出す子も数名。
我が子はというと。自分の番が来る前は、不安そうな顔をしたり、緊張しすぎて逆にニヤニヤしたりしつつも・・・本番はクールに成し遂げ。
そしてなぜかその後の園長先生のあいさつでグッときたのか、涙ぐんでいました。
この前のこの記事もそうだけど。
「お別れを寂しく思ったり、先生の話を聞いて感極まったり、そういう感情が芽生えるほどに成長したんだな・・・」と、私もまた泣けてきたり。
そして、当然母も泣くよね
卒園式、まぁ泣くよね・・・と思ってはいたけれど。
ハイ、園児入場からもう泣けてきましたね。なんで泣けるのか、どういう感情なのか、なんて自己分析もできないぐらいなナチュラル涙ですね。
もちろん、我が子を見ていて・・・というのもあるんですけれど。それだけではなく、お友達が泣いているのを見てもらい泣きもするし、頑張ってお話しているのを見てももら泣きだし、上手く話せなかったら話せなかったで、頑張ったね~と泣けてくるし。もちろん歌なんて歌っているのを見たら泣けるし。
涙腺緩みっぱなしの母でした。
まぁ、ママ友も似たようなもの。
これからどんな時代になるのか
ただでさえ不安な小学校入学に、コロナ問題も上乗せされた今日この頃。
もちろん我が子がどうなるのかという不安もあるけれど、これから、どんな時代を息子たちは生きていくことになるんだろう・・・ということを最近考えます。
今まで当たり前だった、暮らし方、働き方、子育て、といった社会のシステムが決して当たり前ではなかったのだ・・・という思い。その中でこれから生きていく子どもたち。
そんな時に、卒園式の園長先生の言葉が思い出されます。
「人間は1人では生きていけない。子どもたちはこんな大変な時に新たな世界に飛び込むことになるが、家族、お友達、周囲の大人、いろんな人に助けられ大きくなっていくのだ。自分のことばかり考えていてはいけない。」と。
そして、大人は、子どもたちのお手本になれているだろうか、と。
私自身の反省
私が、何冊も読んだ育児書の中で一番参考にしている、児童精神科医の佐々木正美先生の「子どもへのまなざし」の中でこんなことが書かれています。
「親であるあなたが、人の善意を信じて、人と関わりながら生きていきなさい」と。
今の私にはちょっと耳の痛い話。
いや、「人との関わり」っていう意味だと、自分にはそこが欠けていると、もうずっと前から気づいていました。
卒園式のあと、名残惜しそうに、先生やママ友同士の会話や写真撮影が続いていました。それを見て、どこか引いてしまっている自分。結局私は、人との関りが苦手なんだ、と改めて思い知ってしまいました。
息子はというと。今のところそういったところは私には似ていなさそうなので良かったけれど。
まとめ
そんな感傷的な母とは反対に・・・息子はもう前を向いています。
昨日の会話。
息子はどんな小学生になりたい?
もっとかっこよくて、もっと優しくて、小さい子のお世話もしてあげられて、勉強も、お絵かきも、かけっこも、もっと頑張る小学生になりたい!
以前、何かで「子どもは過去を振り返らない。前しか見ていない。」という話を聞いたけれど、ほんとにその通りだな~と思いました。
息子や、これから新生活を迎えるたくさんの子どもたちが、少しでも明るい気持ちで新生活をスタートできますように。
(おわり)
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