夏休み真っ盛り。
日経スタイルの記事を読んでいたら、無性に「舟を編む」を観たくなり、アマゾンプライムでアニメ版を見始めました。
![](https://article-image-ix.imgix.net/https%3A%2F%2Fimgix-proxy.n8s.jp%2FDSXZZO5194306008112019000000-3.jpg?ixlib=js-3.8.0&w=600&h=400&fit=crop&crop=focalpoint&fp-x=0.5&fp-y=0.5&auto=format%2Ccompress&s=469e9594d14264a91dd25211b19ffa42)
辞書ってこうやって作るのね、とか。
PCが出る前~出始めの頃の編集の作業って大変だったんだろうな、とか。
本好きとしていろいろ興味津々な場面が多々あり。
でも、この話、一言でいうと、「自分の仕事とどう向き合うか」「仕事を通した成長」ということだと思うんですよね。
そこに一番ぐっときました。
明治時代に、たった一人で辞書を作ったという人がいたそう。
その人がなぜそんな大業を成せたのか。作中でこんな風に語られていました。
業(ごう)、というかもしれませんね。理性ではどうにもならない心の動き。業とはまた業(わざ)とも読みます。生業(なりわい)や仕事という意味もありますね。天命とも言えるかもしれません。どうにもならない思いに駆られ、仕事をする。私たちも同じはずです。
こんな風に、自分の仕事を天命と感じ、人生の多くを捧げられるって、やっぱり素敵だな~とか。平凡な人生の私は思ってしまうわけです。
今の自分にあてはまめると、今の仕事はそこそこ好き。
でも・・・業ではない、かもしれない。
もう一つ。
自分がやっていることを、大きな使命に結び付けて考えられるというのも、「業」の条件なのかもしれない。
言葉の意味を知りたいとは、誰かの考えや気持ちを、正確に知りたいということです。それは、人とつながりたいという願望ではないでしょうか。
辞書とは、一言で言うなら、みんながより理解しあえる世界を築く一助になるもの。
私の「業」は何なんだろう。。。
この問いは、私がちょいちょい自問している問いでもあります。
夏の夕暮れ、そんなことを考えながらぼーっと空を見上げる。
ついつい息子にもこんな話を。
![わたし](https://michi-kusa.com/wp-content/uploads/2020/02/5727237174.png)
息子も、大人になったら、自分が楽しいと思える仕事で、人の役に立つようなことをしてね。息子ならきっとそれが見つかるからね。
それに対する、息子の反応。。。
![むすこ](https://michi-kusa.com/wp-content/uploads/2020/02/5709685696.png)
その話、もう終わりでいい!
![わたし](https://michi-kusa.com/wp-content/uploads/2020/02/3813364849.png)
ご、ごめん・・・
この話も、ちょいちょい息子にしてしまう話で、テレビを観ていた息子には鬱陶しがられてしまいましたとさ。笑
さ~て。息子も寝たし続きを観ようっと!
(おしまい)
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