先週、多部ちゃんのドラマを見ていた夫に言われた一言。
このドラマの多部ちゃん、あなたみたいだね。
と。
どうやら、仕事はそこそこ頑張っているけれど、部屋の散らかった感じや、物が見つからなくて「ないない」言っているところが似ているのだそう。
言われて気になったこともあり、その後Tverで私も見てみました。
夫よ・・・失礼な。
確かに私も家事は好きじゃないけれど、あそこまでひどくないでしょうに。
それはさておき、このドラマ、仕事を頑張る働き女子たちの心に突き刺さっているようで。
ワーキングマザーの皆さんもきっとそうなのかもしれない・・・と思ったり。
忙しすぎる日々に思うこと
「私は何者でもない」感
多部ちゃん、28歳でリーダー。
私、30歳でプロジェクトリーダー。
子どもが生まれる前にがむしゃらに働いていたことを思いだす。多部ちゃんほどのハードワークではなかったけれど。
1話で、超絶共感したのが、仕事で失敗してしまった後の多部ちゃんのこんなセリフ。
私なんかたいした取りえもないし、家のこともろくにできないし、今の私から仕事とったらなんにも残らないのに……
ああ・・・もうわかりすぎる~。
独身女子でも、ワーキングマザーでも、男性でも。
みんな何かを犠牲にして、何かを頑張っているよね。
その頑張っている「何か」が崩れそうなとき、自分の存在価値まで否定しそうになる。
そんな経験って誰にでもあるんじゃないかな・・・。
そして、それの派生型といいましょうか…。
ワーキングマザーにありがちな「母としても、家庭人(妻)としても、仕事人としても、とにかく精いっぱいやっているけれど、どれも中途半端」という思い。
そして、その先にある「私は全ての役割でダメなんじゃないか」「私の個はどこへ行った」「私って何者?」という呪い。
ちなみに、私自身のワーキングマザーとしてのここ数年・・・。
育休復帰後、全部中途半端に思える期
↓
プレイヤーとしては少し何か掴めたかも期(育休復帰後2~3年目)
↓
課長になってまた全て中途半端期の再来
↓
課長2年以上たっても、まだ掴めていない(今ココ)
ということで、今も年間240日ぐらい仕事の日があるとすると、5割ぐらいは「私ってたいしたことない」と思っていて、4割ぐらいは可もなく不可もなくと思っていて。
残りの1割ぐらいは「私も頑張っている」と思えるかどうか。
そう。
自分を認められる日なんて1割あるかどうか、だ。
でも、悲観しているばかりでもないのです。
ある意味開き直りなのかもしれないけれど・・・
今の私はわかっている。こういう思いを簡単に解決する方法はないのだと。
仕事の自信は頑張って仕事をすることでしか持てない。
仕事のミスは仕事でしか取り返せない。
子育てだって、そう。
我が子に真剣に向き合えばこそ、悩みながらも見えてくるものがあるのだ。
母として至らず失敗したと思うことも数知れず。それもやはり子どもと向き合うことでしか取り返せない。
だから、今日もワーキングマザーは何かと必死で戦っている。
お疲れ様、わたし。
お疲れ様、ワーキングマザーのみなさん。
まとめ
最後に一言いいたい。
うちにも家政夫さん来てください。
そして、大森南朋さん、硬派な貴方はどこへ行ったの・・・でも、キョトン顔が最高です。
(おわり)
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