※この記事は、私の「お金と生き方」の原点をたどるシリーズ 、第3回(完結編)です。
第1回:反省だらけの大学時代
第2回:お金の話をしない家庭
奨学金について思うこと

第1回でも書きましたが、大学進学にあたって月5万円(総額240万円)の奨学金を借りていました。
当時の私は「自宅から離れて大学に行くなら奨学金は当たり前」だと思っていました。兄も同じように借りていたし、親からも「それが普通」と言われたからです。
でも私は、奨学金というものがどういう仕組みなのか、卒業後に働きながら返すことがどんな意味を持つのか、まったく理解していませんでした。新卒でどれくらいの給料をもらえるのか、そのうちいくらを返済にあてるのか、何年かかるのか。そんな現実的な話は、親からも聞かされたことがなかったのです。
今になって思うと、親は「子どもに心配させたくない」という気持ちが強かったのだと思います。けれど、もう半分は「親の見栄」もあったのかもしれません。
大人になった今思うのは、どんな形であれ、子ども扱いせずにきちんと話してほしかった、ということです。たとえ当時の私が理解しきれなかったとしても、わからないなりに自分で考え、納得して道を選びたかった。
それが本音です。
返済が始まって見えた「お金の現実」
大学を卒業して就職した会社は、正直に言ってかなりの低収入でした。
基本給14万円、手取り11万円台。そこから奨学金の返済が始まりました。
実家に入れるお金、携帯代、保険、ガソリン代。それらを払うと、手元に残るのはほんのわずかで、貯金をする余裕などほとんどありませんでした。
お金が足りない中でも、どうにか奨学金の返済を続けました。
今思うと、この時期に「限りあるお金とどう向き合うか」を考える習慣がついたと思います。外食を減らし、お弁当を持っていき、服も安いお店で買う。家計管理方法を全く知らなかった私でも、少しずつやりくりの感覚が育っていきました。
そして、年収1,000万円の会社員から、年収100万円のフリーランスを選んだのも、この時代に培った「足るを知る」の影響が大きいと感じています。
親になって思うこと
現在、小6の息子。息子が将来どのような未来を目指すのか、いまはまだ全くわかりません。
特にお金のかかる大学進学を考えるとき、ある程度は資金を用意しておきたいと思いつつ、でも資金は無尽蔵ではありません。
奨学金に対して否定的な考えを持つ方もいるとは思います。
ですが、私自身も奨学金を借りた立場から、返済の大変さも、奨学金によって得られた価値も、両方を理解しているため、奨学金に対してはフラットに考えています。(借りずに済めばもちろんいいけれど、借りることに必要以上にネガティブになる必要はない。)
でも、親としては「先に知らせる」「一緒に考える」ことだけは忘れないようにしたい。
息子に伝えたいこと
お金を借りる・使うということは、その先の人生の選択にもつながります。
だからこそ、その選択の背景を「知ること」そして「話すこと」を大切にしたい。そして、お金のことを考えることは、自分の生き方を考えることでもあります。
息子には、そういう視点を持ってほしい。
「稼ぐ」や「貯める」だけではなく、「どう生きたいか」からお金を考えられる人になってほしい。それが、私がこの経験から伝えたい一番のことです。